伝説のバンド『たま』研究所

伝説のバンド『たま』について研究するブログです。

伝説のバンド『たま』研究:滝本晃司編

滝本 晃司

出身:東京都

担当:ボーカル、ベース、ピアノ、鍵盤ハーモニカ、コーラス

 

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 『さんだる』/たま/地球レコード

 

※『たま』の世界観や詩は多様な解釈が許されており、以下に記述するのはあくまで僕個人の感想・考察です。

 

1.人物考察

滝本晃司氏の楽曲は、『たま』の中では一番私小説的な雰囲気を持っていると思います。

他の三人が役割としての「君」にしか語りかけないのに対し、個人としての「君」を相手にしているような場面が多く、「関係性」の入り込む余地を残している気がするのです。

そのことと、美形のルックスや甘い声の効果が相まって、恋愛について歌っているような印象も受けますが、恐らく純粋なラブソングは数曲しかありません。

やはり核となるのは哲学的なテーマであり、彼の場合、サルトルの述べた「理由なく生まれ(中略)偶然によって死ぬ」という思想に近いところから出発していると思います。

ただし、サルトルが「だからこそ選択によって存在の意味を獲得する」といった結論に辿り着くのに対し、滝本氏が描いているのは「選択が不透明なので、存在の意味も不透明になっている」人の物語です。

もっといえば、世界に対する認識が不透明なので、世界の価値が不透明になっている人の物語です。

滝本氏の「僕」は、例えば天気だとか距離だとか「ふとしたこと」によって、頻繁にその存在が危うくなります。

また、存在の危機から脱する時も同様で、基本的に「偶然(時の流れなど実質的には必然であるものも含む)」によってその存在を繋ぎ止めます。

このようにして、「僕」はなんとなく世界に生かされています。

このメカニズムは、意味のある存在と存在そのものが同一視されるナイーブな次元(実存の次元)が文章上の舞台であることと、それなのに、「僕」に意味をもたらしてくれるはずの「選択」を「僕」自身がふわっとしか認識できないので、外界や時空に対する強迫的な感覚に身を委ねて認識した結果であると思われます。

実際の物理的な次元(生存の次元)においては「僕」は一貫して存在を保ち続けており、また、特に受動的な人物というわけではなく、わりと能動的です。

そして、「僕」は自分についてだけでなく、世界全体の因果関係をぼんやりとしか認識しておらず、ここでもやはり強迫的な感覚によって理解を補完しています。

あえて大仰に書けば、この物語の主人公は「世界を把握できないまま選択している僕」「その選択すらも把握できないため、意味と共に消えかかっている僕(僕を見ている僕)」に分離しているといえます。

二人の僕が明確に共有しているのは気分だけです。

並みのアーティストなら、このような存在のおぼろげ具合を自殺に結び付けて終わりそうなものですが、滝本氏の「僕」が向かう先はあくまで消滅であり、死はプロセスの一例に過ぎないものとして描かれている気がします。

つまり、「選択している僕」がこの世にいようがあの世にいようが、地の文を担当する「僕を見ている僕」が強迫に訴えかける「偶然」によって存在の意味を失い、語り部が消滅した時こそが本当の終わりなので、これは自殺についての物語ではないのです。

もしジャンル分けするとしたら、サイコホラーのようなものではないでしょうか。

「世界を把握できないまま選択している」ということは、要するにサイコパスです

実際、被害者を出しているような描写も何度か見受けられ、息の浅い歌い方が精神異常者っぽさに輪をかけています。

完璧な構造と自己認識の研究によって形作られた狂気のストーリー、いや物語というよりは「日記」

それを淡々と歌い上げるのが滝本晃司なのだと僕は感じています。

 

2.ピックアップ曲紹介・考察

『夏の前日』(収録アルバム『犬の約束』)

滝本さんが初期三人編成時代の『たま』に加入する際、最初に披露した曲(らしい)。

後の作品と比べても特に多くの実験性が盛り込まれており、この曲一つだけとってみても彼が並みの感性の持ち主ではないことが分かる。

まさに夏が来る前を想起させるようなモヤモヤした情景と、ビートルズを薬で煮詰めて和のテイストをほんの少し足したような独特のサイケデリック感が印象的。

内容のほとんどは「僕」の感覚のフィルターを通した世界の描写で、やがて海が干上がって探していた「君」が見つかり、赤い夜が近づいてくる。

基本的には物凄く怖い曲なのだが、どこかノスタルジーを感じさせるコードとアレンジが用いられているので、二つの要素が折り重なったなんともいえない感情を呼び起こさせられる。

ドラムではなくパーカッションだからこそ表現できる「のたっ」とした感じを石川さんがわざと押し出しているのも、曲の雰囲気と合っていて素晴らしい。

某少女漫画のタイトルの由来にもなっている。

 

『星を食べる』(収録アルバム『きゃべつ』)

「僕から見た世界」と「僕から見た君」そして「僕から見た君から見た僕」についてが気だるく、しかし真に迫ったニュアンスで語られる。

だいたいいつも生きているのか死んでいるのか微妙な「君」だが、この曲ではほんの少しだけ未来への予感みたいなものが垣間見えるので、なんとなく生きているような気にさせられる。

しかし、そのせいで余計に怖い

プロポーズを描いていると解釈できなくもないが、結局殺害しているようにもとれる。

恐らく「僕」の主観が「君」の中に二種類以上の人間を見出していて、それをどのような方法で切り離したのかが鍵になるんだと思う。

ちびまる子ちゃん』の映画の劇中でも使用されている。

 

『こわれた』(収録アルバム『きゃべつ』)

シンプルな構造で整えられたプログレ風味の異色作。

一貫して同じテンポとコードが続き、超タイトな太鼓のリズムキープが心臓の鼓動のようにじわじわと意識を占領してくる。

精神を患っている人はたぶん聞かない方がいい。

内容は、家族や友人や先生が順々に壊れていく様子が淡々と述べられてゆくというものだが、「壊れた」のか「壊した」のかは不明。

一応、不明。

 

『海にうつる月』(収録アルバム『ひるね』)

細やかで儚げなバラード。

他の曲と比べると不穏なワードが少なく、「愛のような狂気」の中に本当の愛が含まれている可能性が端的に垣間見える。

そんな宙づり状態と美しい情景が自然と溶け合う傑作

 

『日曜日に雨』(収録アルバム『ろけっと』)

ひたすらに日曜日が雨であることをあらゆる角度から歌った曲。

憂鬱であるのかどうかすら明言されない。

なぜか当記事の紹介ではこの曲だけになってしまったが、滝本さんの作品には三拍子の曲がめちゃくちゃ多い(『たま』全体にもいえる)。

しかし、この曲はその中でも「声を張ったボーカル」「ポップな展開」という新たな側面を兼ね備えためずらしい部類の楽曲でもある。

以降テーマとして何度も採用される「雨」についての曲のはしりでもある。